アマチュア無線局JN3QNGの変遷
1965年2月17日16時12分〜16時18分だった
相手局のコールサインはJA1EAEで、彼のCQにこちらから呼んだ
周波数7MHz、モードはAM
当時は3カ月に一度「業務日誌の抄録」を電監に提出しなければいけなかったし、それには延べ運用時間を分の単位まで求められたので、計算が大変だった(まだ世の中に電卓なんぞ無いので、3ヶ月にいっぺんは算盤をはじいて計算をしていた)
このころはアマチュア無線の盛んな時期で、しかも関東地方ではコールサインのプレフィックスJA1がもうすぐ満杯になってしまい、新しいプレフィックスJH1が割り当てられるということで、新しい局の開局もかなり速いペースであった
左のグラフに示されているとおり、日本のアマチュア無線局の数は1965年ころから急激な右肩上がりのカーブを示しており、その増加傾向は1990年ころまで続いた
1990年ころからの携帯電話の普及カーブとちょうど逆にアマチュア無線の数の下落が始まっている
この時期は日本経済のバブル崩壊の時期と重なっているのも興味深い
出典:JJ1WTLのWebページ(http://jj1wtl.at.webry.info/200811/article_4.html)