私とハム&阪神クラブ JA3WLH 平田 茂
 歴史ある阪神クラブへはJA3AGC飯田OMにお誘いを受け、H4年秋頃入会をさせて頂きました。丁度2NDがカブスカウト(神戸58団)に在籍しており、私はその父兄として素人ですが副長として、子供達と一緒に約3年間ほど活動していました。飯田OMは別の隊のカブスカウトの隊長として活動されてまして、リーダーの野営訓練のテントで一緒になり、無線の事とかパソコンのお話しを聞かせて頂き、私もCALLを持っている事で話しがはずみました。そんな事で飯田OMとは波の上ではなくカブスカウトのキャンプで御一緒させて頂いたのがきっかけです。 (QSLカードは開局時のもの)

 私が無線に興味を覚えたのは中学生時代です。最初はラジオの製作に興味を持っていました。中学校の技術家庭の授業で、ST管の並3ラジオ(再生式)の回路図や、バラックの教材用の並3ラジオなんかがありまして、それをそっくり真似して自作したのが始まりです。当時は荒ゴミなんかは電柱の裾に捨てるのが普通?だったのか、よく古いラジオが電柱の近くに捨ててあり、それを持ち帰っては分解してトランスやら真空管・抵抗、コンデンサーなんかをいっぱい集めては喜んでおりました。
 そんな拾ったパーツで教科書通りに真似して並3ラジオ(再生式)を組み立てたところ、これが一発で鳴りましてネ、ジャンクで組み立てたラジオのスピーカから音が出て来たときは、本当に嬉しかったです。ですから 6C6 6D6 42 6ZP1 76とかST管の名前もまだ忘れられずに覚えております。ラジオの製作とかの雑誌にMT管の5球スーパーとか、一中二なんかの実体配線図が載っていまして、よく作ってはばらして遊んでおりました。

 また忘れられない思い出は、単球で送信も受信も出来ると言う12AU7のCBバンドトランシーバーの製作記事を見つけ、一生懸命製作しましたが、これは最後まで動作せずじまいでした。このCBバンドトランシーバーのシーメンスキースイッチが忘れられません。いまだに手元にあります。シーメンスキースイッチを入れては送信している空想をよくしておりました。
 その頃同級生がST管の 0-V-1(プラグインコイル)でSWLを始めたのを見せてもらい、それがHAMを具体的に 知るきっかけでした。この同級生に紹介してもらい、JA3DKT局のお宅を訪ね、このCBトランシーバーを持ち 込んで診てもらった事があります。また7MHzをワッチしていてローカルのJA3FMF局とJA3HYP局の毎夜のQSOが、もう漫才より面白くて、毎日毎日ワッチしておりました。
 忘れられない初交信は、まだ局免が無いころ(もう時効と思いますので書きます)、ハム用語でアンカバー ですね。同級生のJA3MSU局の作製の下敷き送信機(ノートに使う本当の下敷きに2球MT管で組み上げた物) に、ヒーター電圧とB電源を繋いで27MHz帯で送信し、受信は7MHzで交信して遊んでました。

 電話級の国家試験は3回目でやっとこさ合格しました。昭和44年7月念願のハム JA3WLHを開局。50MHz AM FM 5WのトランシーバーTRIO TR5000にて、局免はあと TX88A 9R59でも申請しておりましが・・・ (^_^; 51.00MHzが呼出周波数は知っておりましたが、FM用とは知らずAMでCQを出して、えらく怒られた記憶があります。50MHz帯はTVIが思いっきり激しく出まして、BPFなんか入れてパワーも落としたりしましたが、固定からは結局無理でしてモービルに1/4λで移動運用する位でした。

【思い出の阪神クラブの方とのQSO】
 滅多にQSOしない私ですからよく覚えております (^_^;

 JA3CNZ  モービル51MHz F3 亥角OMとはCMに親戚の
                方がおられてその方より伺っておりましたので
                CALLした記憶があります。
 JA3ZK   21MHz CWでCQを出しておりましたら小林OMから
              コールされ −・・−−−?を打電されまして「ホレ」
              は全く駄目でしたので急遽SSBでQSOして頂いた事も
最近では
 JA3JND  144MHz SSB  六甲山天狗岩
 JA3TZT  433MHz  F3  六甲山一軒茶屋

と言う具合で私の場合QSOは本当に少ないです。最小QSO数と言うのがあれば優勝争いをするかも。開局当時に作った1000枚のQSLカードも、いまだに800枚以上残っておる様な次第です。ですから私とQSOした方は値打ちが・・・ あまり無い?(^_^)

【5'FDDの思い入れ】
 私のパソコン歴はあまり古くはありません、最初に使ったパソコンは(今でも捨てずに置いておりますが)父親が買ったまま使わずに置いてあったNEC PC9801F2とモノクロ14インチモニターです。2DDのフロッピーディスクが10枚1箱で\10,000円の時代でした。これが\7,000になり 「安い!」 と飛びついた事を思い出します。
 このPC9801F2は5' 2DDのFDDが2基仕様でどうしても2HDのフロッピーディスクを使いたくてOPのI/Fボードと3.5' 2HD 2FDDを追加、そして中古のメモリー256KBを2枚追加して、やっと640KBに。さらに40MBのSCSI HDDを追加しました。この追加費用だけでも現在でしたら立派なパソコン一式が購入出来る位でした。でもまだ「2HDの5'フロッピーディスク」が使えず何とか使えないかとずっとこだわっておりました。
 Niftyのパソコンフォーラムとか雑誌の記事を参考にして、デジット(日本橋)でジャンクの2HD 5'FDD単体とVFOの裸基板を仕入れ、足らないバーツとかケーブル・コネクターをかき集めて組み上げ、PC9801F2にバラックでしたが2HD 5'FDDを繋ぐ事に成功しました。『カチッカチッ』と2HD FDDが動作してくれた時は本当に嬉しかったです。
 また昔の電柱の近くではありませんが、CMの犬を散歩に連れていった道中で、PC9801BX-U2(486 20MHz)を拾いましてネ (^_^;  3.5' FDD(3MODE) 2基仕様でしたが、これに変換基板を付けて2HD 5'FDDを繋いだところ 2DDも自動認識してくれまして、この時もまた嬉しかったです。
 そんな事で「2HDの5'FDD」には深く 思い入れがありまして、いまだに5'FDD搭載のVM2 RX DXを捨てきれずに押入の肥やしにしております。

 ちなみに一番最近荒ゴミ置き場で拾ったパソコンは  (^_^)
 ・NEC VALUE STAR PC-9821 V166 HDD→不良 他は→OK  まだWindowsで使える?
 その前は
 ・Packard Bell NEC Pentium133MHz 電源のみ不良の様です ・・・
    部品取りにいいかと置いております。
 その前は
  ・モニター一体型のエプソンPentium75MHz CD-ROM無しタイプ
    これは今思ってもおかしいですがCPU(Pentium75MHz)だけを
    sofmapの買い取りに出しました ・・・
    交通費使って行って待つ事30分買い取り価格 \300  (^_^;

【コンピュータ部会】
 最近コンピュータ部会にはご無沙汰しておりますが、JA3AGC飯田OM からコンピュータ部会に誘われたのが最初です。参加するのにノートパソコンが欲しかったのですが、高価でしたので中古のエプソンPC286BOOK(2FDD)をsofmapで入手して、今津の公民館へよく通わさせていただきました。
 このBOOKにはHDDが無かったのですが、その事をJA3AGC飯田OMに話しをしましたら、何と「私のNS/Tを使いなさい」と、NECのノートパソコンPC-9801NS/T HDD 80MB装着を提供して頂きました。このNS/Tでよくコンピュータ部会に参加させて頂いておりました。飯田OMには本当にお世話になったままで申し訳なく思っております。
 NECにMS-DOSが日本の常識?の様な時を過ぎ、DOS/V機にWindowsが現在では主流ですが、まだNEC DOSパソコンを捨てきれずに保管しております。パケット無線もしばらく休眠状態が続いておりますが、死ぬまでには「JA3YAA-1」にコネクトしたいと思っております。